From:渡辺知応
江戸時代の『暦便覧』には、旧暦の三月初頭の時節についてこう記されている。
『万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり』
『雨水』の末候でわずかに吹き出た芽が、このころになると何の草なのかはっきりと見分けがつくまでに成長する訳だ。
で、その様子を『すべてが清らかで明らかである』という意味の言葉に集約したのが『清明』なんだよね。
二十四節気の一つである清明は、旧暦の春分から15日目に当たる。
初侯は新暦の4月5〜9日ごろ
次候は4月10〜14日ごろ
末候は4月15〜19日ごろなんだよね。
まず、初侯を表す言葉は『玄鳥至』
ツバメが日本に渡ってきて、家々の軒下に巣作りをする時節を想像させるよね。
藤沢周平の掌編『玄鳥』という短編小説があるんだけど、、、
物頭をつとめる武家の長屋門に毎年の夏に掛けられていたツバメの巣が、ある夏に取り払われてしまうんだよね。
当家に婿入りした後継が「賓客も城からの使者もその下をくぐる武家の門に、ツバメの巣などをかけておくべきではない」と、巣を壊して捨てるように奉公人に命じるわけだ。
でもって、婿取りをした当家の長女が、壊されて捨てられたツバメの巣に初恋への郷愁を重ね合わせる。
自分の若き日がほんとうに終わったと悟るわけだ。
とまぁ、そうゆう繊細微妙な心情小説なんだけど、、、
ツバメの巣には、なぜか、人をして『これを大切に守ってやらなければ』と思わせるところがあるよね。
ツバメが、この時節の清々しさ、清潔感を象徴しているように感じさせるからかな?
また、ツバメが害虫を食べる益鳥であるということ。
これも人がツバメに特別な好感を寄せる理由の一つになっているのかもしれないよね。
次候の言葉も同じく鳥に関係している。『鴻雁北』
鴻雁(大きな雁)が北へ飛んでいく様子を言った言葉ね。
つまり南からやって来るツバメと入れ替わりに、雁が北へ帰って行くわけだ。
言い伝えによると、雁は海上で休息を取るための木切れをくわえて海を渡るそうなんだ。
で、春になると浜辺に落とした木切れをくわえて帰るのだという。
そんなわけで、浜辺に残される木切れはその持ち主が死んで帰れなかったことを物語っているとされているんだよね。
そんな雁へのあわれみを込めて、浜辺に落ちた木切れを集めて風呂を炊く『雁風呂』と呼ばれる風習が生まれたんだよね。
末候の言葉は『虹始見』
虹がはじめて見える、という意味だが虹は冬にも出ることがあるよね。
だけど、それがごくまれであるためにこういう表現になったのだという。
ちなみに俳句では、虹は夏の季語になる。
つまり昔の人は、すでにこの時期に夏の到来を予感していたんだろうね。
さぁ、暖かい春の気候でぼーっとしてるとすぐに終わってしまうよ。
この気持ちいい季節を満喫しておこう!
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