From:渡辺知応
あなたは、『お墓』というキーワードからどのようなものを思い浮かべますか?
恐らく多くの人は、◯◯家先祖代々と書いた石塔の下に火葬した遺骨を納める場所と答えるのではないでしょうか。
しかし、日本のお墓歴史を見ていくと、地域や時代の背景によって様々な形があるのです。
例えば、、、
現代のイメージ通りのお墓である、火葬した骨と石塔が同じ場所に設けられるものを『単墓制』といいます。
それに対して、近畿地方を中心に遺体の埋葬地と石塔の場所が全く異なる場所にあるところもあります。
この場合、1人の死者に対してお墓が2つあることから『両墓制』と呼ばれています。
さらにさらに、石塔を建てず埋葬のみを行う場合。火葬だけして遺骨を遺棄して墓を全く設けない事例も歴史上存在します。
日本人のお墓はこれだ!といったものがないのが、日本人のお墓歴史です。
先ほど少し説明した『両墓制』ですが、本来は穢れた遺体と神聖な霊魂を祀る場所を分ける古代の日本人の民族性に根ざした固有信仰によるものだと思われてきました
しかし、色々と調べていくうちに『両墓制』は戦国時代の末期以降に石塔が建てられるようになって、初めて現れたものなのです。
仏教の浸透により、死者を祀るという考え方が一般庶民に広がったことが起源だとわかりました。
つまり、お墓はそれぞれの地域や時代の背景、考え方の影響を受けて、かたちを変えてきたのです。
また、『先祖代々』と刻まれたお墓は戦後、特にここ数十年の間に広まり、一般化したようです。
戦後の日本は家制度が否定されたのにもかかわらず、このようなお墓がどんどん増えていったのです。
なんだかんだいっても、最後に行き着くのは自分のルーツの場所なのですね。