From:渡辺知応
このブログを書き始めてからある事に気がつきました。
色々な事柄において、知っているようで、実は知らなかった事が多すぎる、、、
恥ずかしながらそう思う瞬間が多々あります。
と、いうか毎回新たな事実を知り、新たな疑問が浮上しますね。
前回の太陽と月の関係の記事を書いている時に、、、
月の満ち欠けによってひと月を考えるので新月が晦日朔日(みそかついたち)、満月が十五夜、と非常にわかりやすい
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
これは太陰太陽暦(太陽の運行と月の満ち欠けの関係によって出来たカレンダー的なもの)の仕組みについて民俗学者の新谷尚紀氏が『民俗学がわかる事典』で書いたものですが、、、
ん?朔日?ついたち?
なんのこっちゃい?
Google先生にお願いして調べてもらうと、、、
朔日とは太陰暦で、月の第一日
(出典:Google検索)
だそうです。
もう少し詳しく説明すると、、、
朔(さく)とは、月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻のことである。現代的な定義での新月(しんげつ)と同義である。
(出典:Wikipedia)
また、、、
ついたちの語源は、「つきたち(月立ち)」の音変化と考えられる。
「月立ち」の「立ち」は、「出現する」「現れる」といった意味で、陰暦では月の満ち欠けによって月日を数え、新月が現れる日がその月の最初の日にあたることに由来する。
(出典:語源由来辞典)
干支の十二支に関係する、こんな逸話もある。
あくまで、逸話ですよ。逸話。
13番目にたどり着いたイタチを神様がかわいそうに思い、毎月の最初を「ついたち」と呼ぶようにしたといったものもある
(出典:語源由来辞典)
ほほぉ。一日がなんで『ついたち』と呼ばれているか疑問が解けました。
しかし、新たな疑問が、、、
月の満ち欠けと太陽の運行には誤差があったような、、、
月の満ち欠けの1回分つまり1月は平均で約29.5日
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
ですよね。やっぱり。
しかも中途半端に0.5日がついていらしゃる。
そこで、どうしたか、、、
1年を大の月(30日)と小の月(29日)の6ヶ月づつの12ヶ月として調整する
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
なるほど。これで0.5日をどうにか出来た訳ですね。
ん?でもまだ問題は解決してないような気がします、、、
それだけでは1年が354日になり、太陽の1回帰年である365日6時間弱に11日ほど足りない
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
ですよね。ですよね。
つまり、こうゆう事ですよね。
月の満ち欠けによる1ヶ月ごとの繰り返しが太陽の1回による1年とうまくあてはまらない
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
そこで、過去の偉人たちが現代に至るまで、10数回の暦の変更を経ているのです。
そんな偉人たちを本気にさせたのが、、、
誤差が、暦を作る上でのさまざまな工夫を要求してきたといえる
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
この『誤差』を無くす、絶え間ない努力が暦をより正確なものにしたのですね。
ニーチェもこんな事を言っています。
『ものごとを完成させるには、才能や技量よりも時間による成熟を信じながら絶えず進んでいくという気質が、決定的な役割を果たす。』
おぉ。暦が発展途上の当時からすれば、まさに年月を掛けて挑んでこいと言わんばかりの太陽や月からの挑戦状のようですね。
しかし、太陽の運行を基準としていた当時の人からすれば不便が付きまとっていました。
月の満ち欠けを基準とする太陰暦は基本的に太陽の運行による季節の変化とうまく合わない
季節の変化に応じて種まきをしたり、収穫をする農耕生活の上では正確な太陽の一回帰年に合わせた季節ごとの基準がどうしても必要である
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
そこで出来上がったのが、、、
太陽の一回帰年を24等分した二十四節気です。
二十四節気は太陽の一回帰年を基準としているので季節の変化を知るにはよいが、月の満ち欠けとは関係無い
(出典:民俗学がわかる辞典/新谷尚紀)
おっと、今日はここまで。
『一日=ついたち』の説明はできたし。
これ以上話すとチンプンカンプンになりそうです。
二十四節気のお話はまた今度にします。